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2005年04月07日
「新古今和歌集」佐佐木信綱・校注
古代、近代と紹介してきたので、今度は中世の桜に視線を移して『新古今和歌集』の紹介です。中でも、僕はやはり西行です。
現在いろいろなところで「西行桜」を見ることができますが、「西行桜」といえばシダレザクラ。樹齢を重ねた巨木が多く、圧倒されます。
新古今和歌集
和歌に慣れていない方には、大岡信著『古今集・新古今集』が読みやすいと思います。両和歌集の代表的な作品を堪能できます。
古今集・新古今集
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posted by 本読人 at 12:46|
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この記事へのコメント
「マイ ブック」のおかげで、どうやらぼくはサクラに思い入れがあまりない、ようだと思うに至りました。それは、うまく写真に収められないからかもしれません。背景に溶け込んでしまう花びらの薄さに、いつもこちらがシオレテいます。
サクラを見上げたつもりで、いつも青く抜ける空を見ています。
Posted by KAZZ Satoh(佐藤K) at 2005年04月08日 00:34
僕もむかしは、桜に思い入れがありませんでした。桜に興味を持ち出したのは、小川氏の著作に触れてからです。そのせいか、ソメイヨシノよりも、山桜の系譜が好きです。
特に、沖縄好きということもあって、寒緋桜が大好きです。これは赤が強い桜なので、青空をバックに見上げると、ちょっとデイゴっぽく(もちろんあんなに鮮やかな赤ではありませんが、また背景の空が沖縄とは違いますが)て、見栄えがします。
たしかにソメイヨシノは薄い関東の空の色には溶けてしまいますね。今度機会があったら、緋色の桜を見上げてみてください。別の花のようですよ。っていうか、ソメイヨシノの方が、桜業界では新参者なのですが・・・。
Posted by
本読人
at 2005年04月08日 13:37
ソメイとヨシノ。江戸時代に作られたと聞いたことがあります。それがメジャーになったのはなぜですか。誰の仕業なのでしょう。何が切り捨てられたのでしょう。気になります。
Posted by 佐藤K at 2005年04月08日 15:14
ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの自然交配によって誕生したと言われています。だいたい明治維新前後の頃のようです。
メジャーになった理由はいろいろあると思います。僕の推測では、その一つの理由は街路樹に適していたということではないかと思います。小川氏のいくつかの著作には、ソメイヨシノについて「成長が早い」「挿し木でも容易に根が付く」ので、量産できたと書かれています。このことが文明開化で欧風の都市景観作りが急がれていた東京にはピッタリだったのでしょう。東京で次々と植えられて、全国に拡がっていったのだと思います。メジャーになったのは、ソメイヨシノが持つ性質と、文明開化という時代がマッチしたことが大きいのではないかと思います。
何が切り捨てられたのか? まだソメイヨシノが出現する以前に、本居宣長らによって、桜は「国華」とされます。この時、古代から愛でられていた桜のイメージが少しばかり切り捨てられたと思います。
さらに、ソメイヨシノの流行によって、自生主の山桜が持っていた八百万の神との自然なつきあいが、やはり少しばかり切り捨てられたのでしょう。
最後に、軍国の桜教育です。これが決定的でした。
思うに、切り捨てた側はいろいろですが、切り捨てられたものは桜を「心」で感じるということなのではないでしょうか。
桜を心で感じていた時代、それは詩歌に歌われました。変質していくにつれて、小説に書かれるようになっていきます。単純なステレオタイプの分け方ですが、詩歌は心で感じる部分が大きく、小説は知性で理解する(もちろん心の作用も大きいのですが・・・)、ようにも思います。
小川氏が「桜と日本人」(マイ ブック「刀と日本人」で紹介)という著作の中で書いている言葉ですが、「私たちはもうそろそろソメイヨシノの呪縛から解き放たれていいように思う」。これはつまり、僕ら日本人が「心」を快復することを願っている言葉のように思います。
最近、記事本文よりも、コメントに気合いが入っている、本読人でした。
Posted by
本読人
at 2005年04月08日 21:03
こんにちは、本読人さん。こちらでは始めまして。佐藤Kさんに教えてもらって来ました。僕は古代から中世に偏った歴史好きなのですが、古代から現代まで続くものの一つとして桜にけっこう関心があります。ソメイヨシノは花が先に咲くのが好まれて爆発的に広がったと何かで読んだ覚えがあります。普通は葉があって花が咲きますよね。山桜も蕾と葉が同時に出るので、開花前に赤く見えるのは出たばかりの葉っぱの方です。そんなわけでソメイヨシノは嘘っぽい花だと思ったりもします。でも僕が日本一の桜の名所だと思っている吉野山はソメイヨシノのおかげもあって現代でも桜の名所として存続しているので、あながち悪役というわけではありません。確か、明治末期に古来の桜の木が全滅するほどの荒廃を迎え、昭和の初期頃に町をあげて復興して現代に至るのですが、ノー天気にバカスカ咲いてくれるソメイヨシノなしでは難しかったと思います(けっこう前の知識なので間違っていたらごめんなさい)。近代以降の流れを知らないので話がすっ飛んでますね。
Posted by mizdesign at 2005年04月09日 14:32
ようこそ、mizdesign様
そうそう、先に話題になった、ソメイヨシノが空に溶け込んでしまう理由の一つは、花の盛りに、葉が繁っていないこともあるんですよね。
ソメイヨシノのおかげで盛大な花見が可能になりました。でも、花の盛りの日が短いので、花見を楽しむ日数は、ソメイヨシノだと少ないのです。
そう考えると、高度経済成長にもソメイヨシノは一役買っていたかもしれません。
花の盛りの長い桜ばかりだと、ずーっと花見で、みんな働かなかったような・・・。
Posted by
本読人
at 2005年04月09日 22:59
ラテン人ではないので、明治以降は・・・
そうかそうかそうか!と、いろいろなものが瓦解していきます。ソメイヨシノは背景に里山の緑があると映えます。つまりは中景および遠景向きの風景です。それと、空撮。あるいは鳥瞰。吉野山系などは、まさに空撮でこそ狂おしい。
ソメイヨシノの呪縛については、その通りだと思います。まさに「ソメイヨシノ」が象徴的です。「サクラ」ではなく「ソメイヨシノ」。でも寿命は60年と聞いたことがあります。そうであれば、別種のサクラの植え替えを少しずつ始めればいい。
確か「帝都物語」(荒俣宏著)では、それを象徴的に物語に利用していたと記憶しています。ソメイヨシノを「魔」を封じる手立てに使っていたはずです。それの寿命がきたと・・・
さて、現代は植物を心理誘導(つまりは洗脳)に上手く活用するのでしょうか。
Posted by 佐藤K at 2005年04月11日 14:19
あっ、そうか。ソメイヨシノの鑑賞法の一つには、里山の緑を借景して葉っぱ代わりに楽しむこともありですね。その時のソメイヨシノは一つの植物ではなく、景色の種類なのでしょう。
みなさんとコメントでやりとりしていて、今まで思いつかなかったことが、いろいろ見えてきました。
Posted by
本読人
at 2005年04月11日 22:04
昨日、mizdesign氏と手賀沼の畔を車で通りました。我孫子から柏ふるさと公園方面に戻る途中、右手は丘の緑に守られた農家が点々と見えます。今なら、そこにサクラが淡く佇んでいます。
Posted by 佐藤K(KAZZ Saoth) at 2005年04月14日 11:26
16日に、そのコースを柏方面から我孫子に向かって走ります(車で)。もう散ってしまっているかなー。
Posted by
本読人
at 2005年04月14日 15:43
あの里山景観は素晴らしいですね。新緑でも見る価値ありです。
Posted by mizdesign at 2005年04月15日 01:13
昨日本屋さんに行ったら、「桜が創った「日本」 -ソメイヨシノ 起源への旅-」(佐藤俊樹著 岩波新書)という本が目に付いたので買ってしまいました。疑問氷解といくでしょうか。
本当は「山田章博画集」を探しに行ったのですが、こちらは見当たらず。十二国記フェアのときにもっとよく見とけばよかったかな。
Posted by mizdesign at 2005年04月22日 07:52
「山田章博画集」本屋で見つけるのは難しいかもしれませんね。かといって図書館にあるとは思えないし。
僕の方は、注文していた「日本の景観」がさっき届いたので、さっそく開いてみました。
わくわく!
Posted by
本読人
at 2005年04月23日 10:37
「桜が創った「日本」」を読了したのでトラックバックさせていただきました。本読人さんの「桜はまた来年」という声を聞きつつも、景観熱が引くまでもう少しかかりそうです。
Posted by
mizdesign
at 2005年05月04日 01:42
桜特集は、また来年のつもりなのですが、「景観熱」はなかなかさめません。
毎日毎日、「柏をたのしむ@水上デザインオフィス」さんと「まちなか生活向上委員会@三光建設設計部」さんと「たまゆらデザイン日記」さんを行ったり来たりしている今日この頃です。
Posted by
本読人
at 2005年05月04日 09:17
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桜が創った「日本」 -ソメイヨシノ起源への旅- (佐藤俊樹著 岩波新書)
Excerpt: ピンクの小山に浮かれた頃、こちらにお邪魔してソメイヨシノを巡る諸説を交わし、実...
Weblog: 柏をたのしむ@水上デザインオフィス
Tracked: 2005-05-04 01:23
サクラを見上げたつもりで、いつも青く抜ける空を見ています。
特に、沖縄好きということもあって、寒緋桜が大好きです。これは赤が強い桜なので、青空をバックに見上げると、ちょっとデイゴっぽく(もちろんあんなに鮮やかな赤ではありませんが、また背景の空が沖縄とは違いますが)て、見栄えがします。
たしかにソメイヨシノは薄い関東の空の色には溶けてしまいますね。今度機会があったら、緋色の桜を見上げてみてください。別の花のようですよ。っていうか、ソメイヨシノの方が、桜業界では新参者なのですが・・・。
メジャーになった理由はいろいろあると思います。僕の推測では、その一つの理由は街路樹に適していたということではないかと思います。小川氏のいくつかの著作には、ソメイヨシノについて「成長が早い」「挿し木でも容易に根が付く」ので、量産できたと書かれています。このことが文明開化で欧風の都市景観作りが急がれていた東京にはピッタリだったのでしょう。東京で次々と植えられて、全国に拡がっていったのだと思います。メジャーになったのは、ソメイヨシノが持つ性質と、文明開化という時代がマッチしたことが大きいのではないかと思います。
何が切り捨てられたのか? まだソメイヨシノが出現する以前に、本居宣長らによって、桜は「国華」とされます。この時、古代から愛でられていた桜のイメージが少しばかり切り捨てられたと思います。
さらに、ソメイヨシノの流行によって、自生主の山桜が持っていた八百万の神との自然なつきあいが、やはり少しばかり切り捨てられたのでしょう。
最後に、軍国の桜教育です。これが決定的でした。
思うに、切り捨てた側はいろいろですが、切り捨てられたものは桜を「心」で感じるということなのではないでしょうか。
桜を心で感じていた時代、それは詩歌に歌われました。変質していくにつれて、小説に書かれるようになっていきます。単純なステレオタイプの分け方ですが、詩歌は心で感じる部分が大きく、小説は知性で理解する(もちろん心の作用も大きいのですが・・・)、ようにも思います。
小川氏が「桜と日本人」(マイ ブック「刀と日本人」で紹介)という著作の中で書いている言葉ですが、「私たちはもうそろそろソメイヨシノの呪縛から解き放たれていいように思う」。これはつまり、僕ら日本人が「心」を快復することを願っている言葉のように思います。
最近、記事本文よりも、コメントに気合いが入っている、本読人でした。
そうそう、先に話題になった、ソメイヨシノが空に溶け込んでしまう理由の一つは、花の盛りに、葉が繁っていないこともあるんですよね。
ソメイヨシノのおかげで盛大な花見が可能になりました。でも、花の盛りの日が短いので、花見を楽しむ日数は、ソメイヨシノだと少ないのです。
そう考えると、高度経済成長にもソメイヨシノは一役買っていたかもしれません。
花の盛りの長い桜ばかりだと、ずーっと花見で、みんな働かなかったような・・・。
そうかそうかそうか!と、いろいろなものが瓦解していきます。ソメイヨシノは背景に里山の緑があると映えます。つまりは中景および遠景向きの風景です。それと、空撮。あるいは鳥瞰。吉野山系などは、まさに空撮でこそ狂おしい。
ソメイヨシノの呪縛については、その通りだと思います。まさに「ソメイヨシノ」が象徴的です。「サクラ」ではなく「ソメイヨシノ」。でも寿命は60年と聞いたことがあります。そうであれば、別種のサクラの植え替えを少しずつ始めればいい。
確か「帝都物語」(荒俣宏著)では、それを象徴的に物語に利用していたと記憶しています。ソメイヨシノを「魔」を封じる手立てに使っていたはずです。それの寿命がきたと・・・
さて、現代は植物を心理誘導(つまりは洗脳)に上手く活用するのでしょうか。
みなさんとコメントでやりとりしていて、今まで思いつかなかったことが、いろいろ見えてきました。
本当は「山田章博画集」を探しに行ったのですが、こちらは見当たらず。十二国記フェアのときにもっとよく見とけばよかったかな。
僕の方は、注文していた「日本の景観」がさっき届いたので、さっそく開いてみました。
わくわく!
毎日毎日、「柏をたのしむ@水上デザインオフィス」さんと「まちなか生活向上委員会@三光建設設計部」さんと「たまゆらデザイン日記」さんを行ったり来たりしている今日この頃です。