この京都・広隆寺の弥勒菩薩像は、かつては漆が塗られ、さらに金箔が施されていたといいます。それらが剥がれ、木彫も修正されて現在の姿になったそうです。最初の神々しかったであろう姿はわかりませんが、虚飾を排し、後世に人の手を重ねたことで、本当の美に到達したのではないかと思います。右手の薬指が折られた事件、そしてその修復もまた、この仏像においては美に至るための決められた出来事であったように思われるのです。
弥勒菩薩
対照的な立像なのですが、奈良・興福寺の阿修羅像もよいです。上体に比べてアンバランスな足で、しかしスーッと立っています。
阿修羅


土門拳さんはエッセイも面白いです。鬼の眼と言われた厳しい眼差しと、寂しがりやのお山の大将の両面が見え隠れして、とても人間臭く、わがままで、活き活きとしています。僕が読んだのは「死ぬことと生きること」、「続死ぬことと生きること」の二冊で、10年以上前に柏の図書館で借りました。
そういえば土門拳も、いつか取り上げたい一人です。
みうらじゅんの仏像好きは年季が入ってますね。『仏像に想う』は読んでいません。梅原猛と岡部伊津子という組み合わせも、なかなか良いですね。本屋で探してみます。
そういえば、瀬戸内寂聴が引退したとか・・・。
浄法寺町は漆(原料)の生産日本一です。しかし、寂聴さんとともに「まちづくり」に活かし切れていません。寂聴さんは、これで終わりです。この損失の大きさに、これから実感することでしょう。